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患者の目 職場復帰も半年で再発

2014.06.27

救急車で大学病院に運ばれてからの数日間は、意識がもうろうとしてほとんど記憶がない。主治医によると、「ここ1、2日が山場」と言われるほど危険な状態だったらしい。

検査の結果、病名は「急性前骨髄球性白血病」と分かった。「寛解導入療法」と呼ばれる抗がん剤治療がすぐに始まった。40度超の熱が続き、体重はあっという間に10キロ減。約1カ月、病室から一歩も出られなかった。

当時の治癒率は6~7割。主治医は「白血病の中では治りやすい」というが、私は「裏を返すと3~4割は治らないのか」と不安がよぎった。

幸いにも抗がん剤が効き、転院から1カ月後には白血病の症状はなくなった。半年後には右目の視力も日常生活に支障がない程度に戻り、文字通り少しずつ光が見えてきた気がした。

約1年半ぶりに職場に復帰したのは07年1月。「お帰り」「体は大丈夫か」。上司や同僚は温かく迎えてくれた。勤務時間は午前8時半から午後5時。発症前と変わらないが、上司の配慮で、休日や深夜早朝の呼び出しはほとんどなかった。視力低下で運転免許が失効したので、巡回時は同僚が代わりに運転してくれるなど周囲に支えられた。

悲観することもあったが、それ以上に職場復帰が叶い、病気を克服したという感慨がわき上がった。休職中の遅れを取り戻そうと、早く出社して試験装置の使い方など新人時代にやった訓練を復習。アフターファイブは同僚や友人とお酒を楽しんだ。中断していた博士号の取得に向け、再び大学院の研究室に通い始めた。毎月の検査でも異常はなく、病魔は過ぎ去ったかと思えた。

ところが半年後。血液検査で血小板の減少などの異常が見つかった。骨髄検査を受けたところ、がん細胞が増えていた。「残念ながら再発です」。自覚症状はなかっただけに、あぜんとするしかなかった。がん細胞に抗がん剤への耐性ができている可能性があり、完治には骨髄移植しかない。前回の入院時、同じ病室の若い男性が移植後の拒絶反応で亡くなったことが脳裏をよぎった。

「ドナーさんが決まりました」。待つこと10カ月。08年5月に連絡を受けた。移植を前に、完治と明るい未来を信じ、闘病を支えてくれた妻と入籍することにした。家庭を持った以上、絶対に治さなければならない。まさに「覚悟の結婚」だった。

2014.6.26 日本経済新聞より

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